町おこしの開始
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1995年に『耳をすませば』が公開されてすぐ、聖蹟桜ヶ丘がこの映画の舞台だということが知られるようになったが、具体的な町おこしの取り組みが始まるのは、映画公開から10年経った2005年になってからだった。映画公開10周年を機に、映画にちなんだ町おこしイベントが企画されたのである。 きっかけは地元の多摩大学に通う映画の熱烈なファンの女子学生が、映画10周年を記念して何かやりたいという熱意で立ち上がった。多摩大学の学生が発案し、2005年2月に10周年記念上映会の開催を地元商店会に持ちかけた。多摩大学のプロジェクトゼミと商店会が組み、スタジオジブリからフィルムを借りて上映会を開催した。背景画展、スタンプラリー、モデル地ツアー、ミニコンサートなど一連のイベントも実現した。イベントには日本全国から延べ3千人以上が参加した。心配されたトラブルもなく参加者の満足度も高かったことから大成功であったと評価された。地元での注目も高まった。この際のイベントには3日間で約2500人が来場。この大成功をきっかけに、大学・商店会だけでなく、市民や行政も参加する「せいせき観光まちづくり会議」が発足し、継続的にまちづくりの取り組みが続いていくことになった。 このほか町おこしとして定期的に「ロケ地ツアー」を行った。しかし、定期的に行われるようになったロケ地ツアーには地域住民から苦情が出るようになった。映画のモデル地の大部分は観光地ではなく桜ヶ丘 (多摩市)の閑静な住宅街であったためである。観光客が押し寄せてきて写真を撮ったりしたら迷惑だということで、一時期は住民からクレームやイベント中止の訴えも出た。苦情を解消するため、ボランティアのツアーガイドにはガイド養成講座を定期的に開いたり、地元町内会でツアーの仕方を根回ししたり、マナーの徹底化を呼びかけるなどの努力が重ねられた。 また一般にアニメで町おこしで成功するには、制作会社と連携して版権絵を借りることが多いが、スタジオジブリからは版権絵の使用許可が下りなかった。そこでまず手書きイラストでモデル地案内マップを作った。耳をすませばモデル地案内マップは、2005年7月、聖蹟桜ヶ丘駅西口広場に設置された。耳をすませば公開10周年記念で地元商店会が京王電鉄の敷地内に建てた。一般的にアニメ町おこしが行われる際には、制作会社と地域が密接な関係を保ち、版権絵の使用許可を取っていることが多い。このためモデル地案内マップには手描きイラストを用いるなど、版権絵を使用しない「耳をすませば」の町おこしは他作品のものとは大きく異なっている。
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