甲子園競輪場と特別競輪・開設記念競輪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:29 UTC 版)
「甲子園競輪場」の記事における「甲子園競輪場と特別競輪・開設記念競輪」の解説
甲子園競輪場が開設された当時の現地周辺は、田圃だらけという郊外であった。だが、徐々に競輪場周辺まで宅地化の波が押し寄せ住宅が密集し出しただけでなく、車社会の到来で競輪場周辺でも交通渋滞に悩まされるようになり、周辺住民との軋轢がたびたび起こるようになった。 特に鳴尾事件の爪痕は非常に大きく、それが長きにわたり開設記念競輪でさえ開催できない状況を作ってしまっていた。 1969年に予定されていた特別競輪「全国都道府県選抜競輪」(現在の読売新聞社杯全日本選抜競輪の前身)の開催に際しては周辺住民から「競輪公害だ」として開催反対の住民運動が起こり、大会10日前になって中止されるというハプニングが起こった。以降1985年まで、他場では必ず行われている開設記念競輪すらも開催されることはなかった。 また、1988年にはKEIRINグランプリを関東以外で初めて開催することも一旦は決定しながら、やはり周辺住民への騒音対策や警備・施設面で不安が残るという理由で同年夏に開催返上する(KEIRINグランプリ'88はその後立川市が引き受け前回大会と同じく立川競輪場で開催された)という経緯もあり、なかなか特別競輪とは縁遠かった。 その後、北側スタンド改築に併せてバックスタンド側にも特別観覧席を設置するなど施設の改善を図り、また周辺住民の理解も得られたことから、1999年には待望の特別競輪・第42回オールスター競輪の開催にこぎつけた(優勝者は神山雄一郎)。なお、この開催では台風接近で決勝戦が1日順延した関係で、決勝戦のテレビ中継は当初予定していたテレビ東京系列(地元ではテレビ大阪)では行われず、1日順延した翌日に地元のサンテレビが代替で発走直前の16時30分から16時50分の20分間で急遽中継した。なお、当時の特別競輪決勝戦は古舘伊知郎が実況を担当していたが、決勝戦は1日順延したもののそのまま実況を担当した。
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