甲子園球場以外での開催
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 08:56 UTC 版)
「全国高等学校野球選手権大会に関するエピソード」の記事における「甲子園球場以外での開催」の解説
1915年(第1回大会)と1916年(第2回大会)は豊中球場で、1917年(第3回大会)から1923年(第9回大会)までは鳴尾球場で開催された。1924年(第10回大会)に甲子園球場が完成し、以降は甲子園球場での開催となった。 しかし、それ以降も全国高校野球を甲子園球場以外で何度か開催されている。1946年(第28回大会)は阪急西宮球場で開催された。甲子園球場がアメリカ軍の接収下にあり、利用できなかったための代替球場であった。1958年(第40回記念大会)と1963年(第45回記念大会)は、全国各都道府県と沖縄の代表を含めた47代表が参加する記念大会であり、試合消化のために甲子園球場と阪急西宮球場の併催となった。これは甲子園では消化しきれないための処置であり、1回戦から3回戦までの試合を甲子園球場での試合と西宮球場での試合を抽選で半分ずつに分け、準々決勝以降は甲子園球場での試合とした。しかしながら西宮球場に分けられた高校からは選手、父兄、応援団からも不評であり、大会が終了した後も猛烈な批判が絶えなかった(最も不運な例として、山梨県代表の甲府高校などは1、2回戦に勝利し3回戦で敗れたが、3試合とも会場は西宮球場で選手たちは入場行進の時だけしか甲子園の土を踏めなかった)。同じく47代表参加の1968年(第50回記念大会)は全試合が甲子園球場で試合が行われ、以降代表校が49校あるいは55校までに増えてからも同様である。 ちなみに春の大会は第1回の1924年に八事(山本)球場で開かれた以外、全部甲子園のみを会場として行っている(終戦直後の1946年春は中止)。
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