田辺廃寺跡とは? わかりやすく解説

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田辺廃寺跡

名称: 田辺廃寺跡
ふりがな たなべはいじあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 大阪府
市区町村 柏原市田辺
管理団体
指定年月日 1975.07.19(昭和50.07.19)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S50-5-119[[田辺]たなべ]廃寺.txt: 大和川石川合流点の東、国分平地南端に低い丘陵があり、春日神社社叢見られる。この神社境内には、白鳳時代創立を見、天平時代整備され寺院跡が存在する南門から大きく離れて中門があり、さらにその北に東・西両塔が配置され、その北に金堂の諸遺構たしかめられている。南門中門金堂は瓦積基壇の制をとり、金堂には脇侍台座がなおのこされている。東塔は〓(*1)積基壇西塔は瓦積基壇であり、対称の妙を示す小規模な三重塔である。この寺院跡は、著名な外来民族[[田辺史]たなべのふひと]家の本貫地建立されており、白鳳時代から中世までの間法灯伝えるが、終始その間同氏背景盛衰した寺院考えられ注目される
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田辺廃寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 19:38 UTC 版)

田辺廃寺跡 伽藍
左に西塔跡、右に東塔跡、奥に金堂跡。
田辺廃寺跡
田辺廃寺跡の位置

田辺廃寺跡(たなべはいじあと)は、大阪府柏原市田辺にある古代寺院跡。国の史跡に指定されている。

概要

春日神社

大阪府東部、大和川南岸において、明神山系から西に延びた台地上に位置する。現在は春日神社境内に所在する。1971年昭和46年)に発掘調査が実施されている。

伽藍は薬師寺式伽藍配置で、金堂を北、塔を東西に配する。創建は白鳳期の7世紀末葉頃で、奈良時代8世紀前半にかけて堂塔の整備が進んだが、平安時代前期頃に焼失し、金堂のみが再建されて室町時代まで継続したと推測される。一帯は百済系渡来氏族の田辺史(田辺氏)の本貫地として知られることから、田辺史一族の氏寺と推定される寺院跡になる。

寺域は1975年(昭和50年)に国の史跡に指定されている[1]

歴史

古代

創建は不詳。発掘調査によれば、白鳳期の7世紀末葉頃に創建され、奈良時代8世紀前半にかけて堂塔が整備されたと推測される[2]

田辺廃寺の位置する河内国安宿郡は百済系渡来氏族の田辺史(田辺氏)の本貫地であることから、田辺史の氏寺として創建されたと推測される[2]。付近には7世紀代の終末期群集墳である田辺古墳群、8世紀代の火葬墓群である田辺古墓群の分布も知られ、田辺史の墓地になるとして田辺廃寺との関連性が注目される[2]。また田辺史大隅が藤原不比等を育てていることから、田辺廃寺の所在する春日神社(藤原氏氏神)との関連を指摘する説もある[2]

その後、平安時代前期頃に火災のため焼失し、金堂のみ再建されて室町時代まで継続したと推測される[2]

近代以降

近代以降の変遷は次の通り。

遺構

金堂跡

寺域は東西約110メートル(1町)・南北110メートル以上(1町以上)と推定される[2]。金堂を北、塔を東西に配する薬師寺式伽藍配置であり、主要伽藍として金堂・東西両塔・南大門の遺構が認められる。遺構の詳細は次の通り。

  • 金堂 - 基壇化粧は瓦積基壇[2]
  • 西塔 - 基壇化粧は瓦積基壇。三重塔と推定される[2]
  • 東塔 - 基壇化粧は塼積基壇。三重塔と推定される[2]
  • 南大門 - 東西三間・南北二間の八脚門[2]
  • 回廊 - 中門左右から出て、堂塔を囲む。推定で約55メートル(半町)四方を測る[2]

その他の伽藍として、講堂は削平のため検出されておらず、僧房・食堂も明らかでない[2]

寺域からの出土品としては多量の瓦等がある。創建期の瓦は金堂・西塔に多い線鋸歯文縁素弁八葉蓮華文軒丸瓦・偏行忍冬唐草文軒平瓦であり、7世紀末葉の藤原宮造営期に位置づけられる[2]。同型式の軒瓦は周辺の五十村廃寺・原山廃寺・円明廃寺のほか、香川県の仲村廃寺・開法寺でも知られ、関連性が注目される[2]。出土品の様相によれば、7世紀末葉頃から8世紀中葉頃までに金堂→西塔→東塔の順で整備されたと推測される[2]

文化財

国の史跡

  • 田辺廃寺跡 - 1975年(昭和50年)7月19日指定[1][4]

脚注

  1. ^ a b c 田辺廃寺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 田辺廃寺(柏原市ホームページ)。
  3. ^ 田辺廃寺跡(平凡社) 1986.
  4. ^ 田辺廃寺跡(柏原市ホームページ)。

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

外部リンク

座標: 北緯34度33分37.55秒 東経135度38分32.93秒 / 北緯34.5604306度 東経135.6424806度 / 34.5604306; 135.6424806 (田辺廃寺跡)



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