田中桐江とは? わかりやすく解説

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田中桐江

読み方たなか とうこう

江戸中期漢詩人出羽庄内生。名は省、字は省吾・宗、号は華道人。晩年姓を富、名を逸、字を春叟と改め江と号した荻生徂来と共に越後柳沢侯に仕え、のち致仕して摂津池田遥邨詩社呉江社を開く。寛保3年(1743)歿、75才。

田中桐江

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 05:39 UTC 版)

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田中 桐江(たなか とうこう、寛文8年2月12日1668年3月24日) - 寛保2年6月26日1742年7月27日))は、江戸時代中期の儒学者漢詩人柳沢吉保に仕えた。本名を省、字は省吾。桐江は号である。通称富春山人

生涯

寛文8年(1668年)に出羽国田川郡鶴ヶ岡城下(現・鶴岡市)に、田中一信の6男として生まれる。

元禄12年(1699年)桐江31歳で徳川家第五代将軍徳川綱吉大老であった柳沢吉保に仕える。そこで荻生徂徠と知り合い深い親交を持った。

だが、正徳3年(1713年)柳沢吉保の奸臣に対して刃傷に及び奥州に逃げ延びる。

その後、光徳寺の僧である獨麟の薦めもあって、奥州から摂津国池田に移り住み、富永仲基などの門下達と「呉江社」(ごこうしゃ)を設立した。

墓所は、大阪府池田市綾羽大広寺にある。

血族

出版物

著書

  • 『東海漫遊稿』
  • 『樵漁余適』
  • 『桐江語録』
  • 『愚聞漫抄』

関連書籍

  • 1923年(大正12年) - 『田中桐江伝』 吉田鋭雄(編) 池田史談会(出版)
  • 1977年(昭和52年) - 『田中桐江』 鹿島友治(著)(『池田郷土研究 第4号』 池田郷土史学会(出版)に収録。)
  • 1977年(昭和52年) - 『田中桐江門人その他』 山内篤(著)(『池田郷土研究 第4号』 池田郷土史学会(出版)に収録。)

参考資料




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