現代音楽祭の開催とは? わかりやすく解説

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現代音楽祭の開催

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 05:07 UTC 版)

二十世紀音楽研究所」の記事における「現代音楽祭の開催」の解説

1957年8月第1回現代音楽祭を軽井沢星野温泉ホール開催することになり、研究所では楽譜整備出演者交渉放送出版関係への支援依頼などの準備進めた音楽祭事務音楽芸術協会委託し参加者受付始めた8月にはいると軽井沢会場アンサンブル練習開始し10日開会式迎えベルクの『抒情組曲第3楽章がパレナン弦楽四重奏団により演奏された。11日から13日までの音楽祭では、「ウェーベルンの夕」「若い世代の夕」「現代巨匠の夕」と銘打った演奏会と共に関連するテーマ講座公開討論会が行われた。演奏岩淵龍太郎主宰するプロムジカ弦楽四重奏団、この音楽祭のために編成され現代音楽室内管弦楽団指揮森正)などであった参加者352名、このほかに主催者出演者60から70であった演奏大半9月に『NHKラジオ・リサイタル』で4回にわたり放送された。 第1回音楽祭十二音技法ウェーベルン特集したが、翌1958年第2回現代音楽祭ではミュージック・セリエル創始者メシアン取り上げられ1959年第3回ではさらにその典型的後継者ブーレーズ特集のテーマとなった一方でこの第3回には十二音音楽与しない武満徹所員迎え湯浅譲二福島和夫作品プログラム入れられた。また指揮者岩城宏之ピアノ小林仁所員加わった。なお、第2回では作曲コンクールが行われ、武満徹『ソン・カリグラフィー』と松下真一室内コンポジション』が入選した第3回までの会場軽井沢であったが、1961年第4回大阪行われ帰国したばかりの一柳慧迎えてジョン・ケージなど「アメリカ前衛音楽」が特集された。この回からは講座廃止され演奏会のみの音楽祭となった1963年京都開催され第5回からは、一柳松下真一所員加わり、「現代日本作品の夕」では石井眞木高橋悠治作品取り上げられた。また「現代イタリア音楽の夕」ではベリオダッラピッコラノーノなどの作品演奏された。そして1965年東京第6回開催されたが、特集たてられず、音楽祭もこれが最終回となった

※この「現代音楽祭の開催」の解説は、「二十世紀音楽研究所」の解説の一部です。
「現代音楽祭の開催」を含む「二十世紀音楽研究所」の記事については、「二十世紀音楽研究所」の概要を参照ください。

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