現代音楽の中での指揮者
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クラシック音楽において、指揮者は不可欠な存在ではない。指揮者の急病や負傷で、あるいは指揮者が亡くなった際の追悼のために、指揮者なしで管弦楽曲が演奏されることもある。 しかしながら、指揮者の存在を楽譜に明示し、彼に音楽をまとめること以外の役割を与える作品も登場している。例えば、指揮者の身振りに何らかの指示を与えたり、指揮者自身が発声、ないしは楽器を鳴らすといったことである。具体例は以下の通り。 マウリシオ・カーゲル「フィナーレ」 - 指揮者が演奏途中で倒れるように指示されている。 ディーター・シュネーベル「ノスタルジー」 - 一人の指揮者(楽器奏者がいない)のための作品。彼の身振りによる視覚的要素を強調したもの。 湯浅譲二「問い」 - 指揮者が聴衆に向かって語る。 権代敦彦「Agnus Dei/Anus Mundi I」 - 指揮者がホイッスルを鳴らす。 北方寛丈と菅原拓馬 - 「コラーゲンII」 - 当該記事を参照。 井上道義 - 「メモリー・コンクリート(2004年)」 - 指揮者井上道義の自伝的作品。曲中に「指揮者のためのカデンツァ」があり、小太鼓のリズムに乗って指揮者がパフォーマンスを繰り広げる。井上自身の演奏の一例では、礼服を脱ぎ捨ててトレーナー姿になり、王冠風の帽子をかぶってタップダンスを踊った。
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