現代の皇室・皇族など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 01:41 UTC 版)
日本国憲法及び新皇室典範の下、1947年(昭和22年)10月14日に11宮家51名の臣籍降下(いわゆる皇籍離脱:形式上は自発的な意思によるもの)が行われ、皇族数は大きく減少した。ただしその後も、皇室への残留の別を問わず、元皇族軍人と同期生らとの交流は続いた(幼年学校の節も参照)。例えば高松宮宣仁親王の同期生の依頼で、同妃喜久子が予科練の若者を悼んで和歌を詠み、陸上自衛隊武器学校内(土浦駐屯地:かつて土浦海軍航空隊が所在)にある歌碑を揮毫している。 なお、女性の入隊・入職が可能になった自衛隊(陸上・海上・航空)において、皇族男子・女子とも、自衛官又は自衛隊員(自衛官の他、事務官、技官等を含む総称)として国防の任に従事した例はない。 2016年(平成28年)に薨去した三笠宮崇仁親王は、皇族のまま薨去した最後の皇族軍人であった。 一方、王公族は王公家軌範廃止と日本国憲法施行によりその身分を喪失し、さらにサンフランシスコ平和条約発効により日本国籍から離脱した者として扱われた。李垠は病に倒れた後、大韓民国に帰国して余生を送った。李鍵は改めて日本に帰化して桃山虔一を名乗り、その葬儀には3期後輩の三笠宮崇仁親王も参列した。
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