現代の発掘調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 02:58 UTC 版)
コリントス運河の主任技術者であったベーラ・ゲルスター(英語版)は地峡の地理に関して大規模な調査を行ったが、ディオルコスを発見することはなかった。この船舶輸送軌道の残骸について、おそらく初めて認知したのはドイツの考古学者ハッボ・ローリング(英語版)で、ベデカーの1883年版でのことである。1913年に、ジェームズ・フレイザーがパウサニアスに関する彼の解説書の中で、地峡を横断する古代の線路の名残に関して報告しており、さらに西側の埠頭に関しては1932年にハロルド・ノース・ファウラーによって発見された。 最終的に組織的な発掘調査がギリシャの考古学者ニコラオス・ヴェルデリスによって1956年から1962年にかけて実施され、これによりほぼ連続した800メートルの区間を発見し、さらに合計すると1,100メートルにわたる区間を特定した。彼の発掘報告は、その後の研究の基礎であり続けているが、しかし彼が早くに亡くなってしまったためすべての出版に漕ぎつけられず、ディオルコスの正確な特性に関する多くの未解明の疑問が残されることになった。現地での追加の調査はヴェルデリスの業績の補完を意味しており、ジョルジュ・ラエプセトやヴァルター・ヴェルナーが後に発表した。 こんにち、近接する運河における船舶の運航がもたらす侵食により、特に発掘された西端部においてディオルコスのかなりの部分が酷い状態となっている。ギリシャの文化省が保護に不活発であるとする批判から、保存して考古学遺跡として登録しようとする請願が起きている。
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