現代の白岩焼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/14 04:48 UTC 版)
白岩焼の復興の機運が訪れたのは、およそ70年後の昭和時代に入ってからである。江戸期の窯元のひとり、渡邊勘左衛門の末裔であった渡邊すなお(1953年‐)は大学在学中から、白岩焼の築窯を志していた。折から角館は白岩焼とともに桜の皮を用いる木工芸・樺細工でも知られており、そのふたつの県産品を訪ねて民芸運動の提唱者・柳宗悦(1889年‐1961年)と陶芸家であり人間国宝の浜田庄司(1894年‐1978年)がたびたび同地を訪ねていた。1974年(昭和49年)当時の秋田県知事小畑勇二郎の依頼により浜田庄司が、白岩の土の陶土適正の検査を行う。陶土としての質の良さが判明し、助言を受けた渡辺すなおは翌1975年(昭和50年)白岩に和兵衛窯を築窯、白岩焼復興を果たす。その後、すなおは大学で同じ研究室に学んだ渡邊敏明(1950年‐)と結婚、1993年(平成5年)には敏明による四室の登窯が完成し、現在にいたる。
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