現代の異言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/13 10:04 UTC 版)
ベンジャミン・アーウィンがバプテスト教会からホーリネス教会に移った後、ジョン・ウェスレーの同労者であるジョーゼフ・フレッチャー(Joseph Fletcher)の書物に触れ、聖霊の火による第三の御業を主張した。この第三の御業には、叫び、すすり、泣き、異言、エクスタシー状態が伴うとされている。 1900年12月31日にチャールズ・パーハムが聖書学校の女学生に按手を授けたところ、この女学生らが異言で話し出した。 1906年ロサンゼルスのアズサ通りで、パーハムのもとで訓練を受けた、ウィリアム・シーモアがある家での集会中にエクスタシーに陥り、異言現象が起きた。アズサ通りのメソジスト教会で集会を継続したところこの現象がうわさになり広まった。ロサンゼルスの新聞に掲載され、全米に広がり、ペンテコステ運動に発展した。 詳細は「アズサ・ストリート・リバイバル」を参照 ペンテコステ運動は主にメソジスト派の教会の牧師、T.B.バレットによって全世界に伝えられていった。ところがペンテコステ運動はホーリネス陣営から激しい反対をうけた。反対の主な理由は、ペンテコステ教会が第二の潔めに対抗して、第三の潔めである「異言」を唱えた点にある。ペンテコステ陣営内部でも異言について理解の対立があった。対立の故に、1914年以降ペンテコステ派は二つに分離した。一方はアッセンブリー教団系で、彼らは回心によって潔めは完成しているとし、異言は聖霊の満たしによって起こる現象であると唱えた。もう一方はチャーチ・オブ・ゴッド教団系で、彼らは聖霊のバプテスマである異言を受けることによって、完全な罪から潔めが完成すると唱えた。
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