王仁三郎と合気道とは? わかりやすく解説

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王仁三郎と合気道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:41 UTC 版)

出口王仁三郎」の記事における「王仁三郎と合気道」の解説

合気道開祖植芝盛平王仁三郎蒙古入り同伴するほど関係が深く大正末から昭和初期にかけて王仁三郎側近として武道修行行った1920年大正9年春に植芝綾部移住挨拶をすると、王仁三郎は「武の道を天職とさだめ、その道きわめることによって大宇宙の神・幽・現三界自在に生きることじゃ。大東流とやらも結構だが、まだ神人一如真の武とは思われぬ。あんたは、植芝流でいきなされ。真の武とは戈を止まらしむる愛善の道のためにある」と語り側近抜擢した1924年大正13年)の蒙古入り植芝は「王守高」を名乗って護衛役となり、『霊界物語-入蒙記』でしばしば登場する大本王仁三郎合気道に強い影響与えており、植芝語録霊界物語からの引用が多い。一例として、植芝道場で「三千世界一度に開く梅の花」と声を出し手を開き続いて開いて治める」と述べて手を結ぶ動作をしていたが、これは開祖出口なお教典大本神諭冒頭文「三千世界一度に開く梅の花艮の金神世になりたぞよ。開いて治める、神国世になりたぞよ。(中略)神が表に現れて、三千世界の天之岩戸開きを致すぞよ。用意なされよこの世は全然、新つに致して了ふぞよ。三千世界大洗濯、大掃除致して天下泰平に世を治めて万古末代つづく神国世に致すぞよ」の引用である。1932年昭和7年8月13日大日本武道宣揚会が発足すると、王仁三郎は「真の武は神より来る。破壊殺傷の術は真の武ではない。地上に神の御心を実現する破邪顕正の道こそ真の武道真の武士道武士道言挙げせぬ神代存在していた」という趣旨設立趣意書をよせ、独特の武術論展開している。なお合気に「愛気」をかけあわせたのが王仁三郎であり、昭和7年大本機関誌では「合気道」の命名者王仁三郎としている。植芝の甥井上鑑昭親和体道親英体道創始者)も、「合気武道命名者王仁三郎証言している。第二次大本事件大本壊滅する植芝弾圧受けず済み、さらに合気道発展させていった

※この「王仁三郎と合気道」の解説は、「出口王仁三郎」の解説の一部です。
「王仁三郎と合気道」を含む「出口王仁三郎」の記事については、「出口王仁三郎」の概要を参照ください。

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