玉置商会 - 東洋製糖 - 大日本製糖 - 大東糖業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 18:23 UTC 版)
「沖縄県の鉄道」の記事における「玉置商会 - 東洋製糖 - 大日本製糖 - 大東糖業」の解説
詳細は「大東糖業南大東事業所の砂糖運搬専用軌道」を参照 産業用の鉄道を含めると、沖縄県内で初めて鉄道のレールが敷設されたのが南大東島である。現在では南大東島砂糖鉄道や南大東島のシュガートレインなどと呼ばれている。島内を環状する線路と港などを連絡する線路で構成され、軌道延長は約30kmに及んだ。サトウキビのほか旅客も便乗扱いで運んでいた。 南大東島は明治中期まで無人島であったが、1900年(明治33年)に玉置商会が同島の事業権を得て開拓が始まり、1902年(明治35年)には製糖の始まりとともにトロッコ用鉄道が完成している。同島の事業権は1917年(大正6年)に東洋製糖に譲渡され、このとき762mm軌間に改軌して本格的なサトウキビ運搬鉄道となった。なお、東洋製糖は1927年(昭和2年)に大日本製糖と合併している。 南大東島は、太平洋戦争で米軍の空襲や艦砲射撃に晒されて鉄道も破壊されたが、戦後は1950年(昭和25年)に発足した大東糖業が鉄道を復旧し、再び鉄道によるサトウキビ輸送が行われるようになった。しかし、1983年(昭和58年)春の製糖期を最後に鉄道の使用を中止し、1984年(昭和59年)からはトラック輸送に切り替えられている。 車両は762mm改軌時に蒸気機関車を導入し、戦後は1956年(昭和31年)にディーゼル機関車を導入している。現在、南大東島には蒸気機関車とディーゼル機関車、客車、貨車が保存されており、沖縄本島でも那覇市壺川東公園(沖縄県営鉄道与那原線那覇 - 古波蔵間の線路跡付近を再開発した地点)にディーゼル機関車が保存されている。 島外から最初に訪乗したのは、元判事で市民オンブスマン・作家の石田穣一である。
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