玉置和郎との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:05 UTC 版)
1960年(昭和35年)、東洋紡とブラジルの合弁会社が倒産したのを機にレスポワールを退社する。当時から同級生のつてで村上は国会の議員会館に出入りしていた。和歌山県選出の早川崇衆議院議員を介して、和歌山県から出てきていた玉置和郎と知り合う。当時、玉置は自民党青年部の嘱託であった。 当時は玉置も村上も後の支持基盤である宗教法人生長の家とは無関係であった。 国会議員志望の玉置と村上は意気投合し、共同で下水道事業を行う。当時、宗教団体の中で政治に熱心で、候補者を持っていなかったのが生長の家だった。早川崇は三木武夫の紹介状を持たせ、玉置と村上を生長の家総裁・谷口雅春と初めて会わせる。 「そのときにはもう私は、嘘はいっぺんに見抜かれるという感じがしましたよ。何しろ票ほしさに会いに行っているんだからね。谷口先生にじっと顔を見られるとウッという感じがしてね。(笑)」
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