犯行の経緯・動機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 16:12 UTC 版)
「日野OL不倫放火殺人事件」の記事における「犯行の経緯・動機」の解説
Aは大学卒業後、東京都港区に本社がある電機メーカーに就職し、府中市にある事業所のシステム開発部門に配属された。BはAの配属先の直属の上司であり、配属されてから間もなくお互いに恋愛感情を抱くようになった。Bは妻子がおり、Aは独身だったが、お互いの家族状況を認識しながら不倫関係になった。1991年4月、Bの妻が流産したのを機に、二人はますます親密になり、二人だけで酒を飲み歩くようになる。同年8月6日、AはBを自宅に招き入れ性関係を持った。 不倫関係・性関係が継続する状況で、1992年、Bの妻が妊娠した。妻の妊娠を知ったAは、避妊しながら肉体関係を持つ自分に比べて、避妊を選ぶことなく妊娠できる妻に激しく嫉妬して、2回ほど自ら避妊を拒否する。やがて同年4月にAの妊娠発覚。BはAに対して「いずれ妻とは離婚してAと結婚するつもりだ」と虚偽の意志を伝え、「今はまだ妻との離婚が成立していないので中絶するように」とAに要求。Aはこの要求を受け入れて中絶した。手術後、AはBにもう二度と中絶手術を受けたくないから、今後は必ず避妊するよう要求した。Bは「わかった」と言うものの、実際は避妊を拒否することも度々あった。 Bの妻が臨月に入ると、Bの妻は出産のために自分の両親宅に滞在。その間、AとBはBの自宅で同棲生活をしていた。Bは妻が第二子を出産した後も、Aに対して「来年になったら妻と離婚してAと結婚する」と言ったが、実行しなかった。 その後、Aは2回目の妊娠。しかしBから再度の中絶を要求される前に自らの意志で中絶を決意。(後年弁護士に送った手紙によると、2回目の中絶理由は、Bと再婚して2人の子供を引き取るためでもあったと告白している) 1993年5月18日、不倫関係がBの妻に発覚。Bの妻はBを激しく非難し、Bに対して「Aとの関係を選択して自分に慰謝料を支払って離婚するか、それともAとの関係を解消して自分との夫婦関係を継続するか」と、どちらかの選択を要求した。BはAとの不倫関係を解消し、夫婦関係を修復して継続すると表明した。Bは妻の要求にしたがってAに不倫関係の解消を電話で伝えた。 この電話の際、Bの妻はAに対して不倫関係に及んだことを責め、自分たち夫婦と家庭の平穏をAに侵害されたことを厳しく非難した。これを受けてAは謝罪したが、電話での厳しい抗議はその後も続き、Aは精神的に不安定な状態になっていた。Bの妻から「私は子を2人生んで育てているが、Aは2回妊娠して2回とも胎内から掻きだす女だ」と嘲笑されたことがきっかけで、Aは中絶したことに対する自責の念がB家族に対する憎悪に転化し、「B夫妻にも子供を失う感情を体験させてやる」という報復感情に支配されて、B夫妻の自宅に放火し子供2人を焼殺した。
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