灌漑と水資源開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 21:52 UTC 版)
敗戦後の食糧危機を早急に解消するために農林省(現:農林水産省)は1947年(昭和22年)から『国営農業水利事業』を策定、全国4水系においてダム・頭首工・用水路の総合的運用による水供給促進によって、新規農地開墾を行おうとした。この4水系の中に野洲川が加えられた。近江盆地は古くから穀倉地帯として知られていたが、天井川が流域の多くを占めており水争いの絶えない地域でもあった。既に1939年(昭和14年)より滋賀県の手で『野洲川農業水利事業』に基づき野洲川ダムの計画が進められていたが、戦後事業は国直轄事業となり『国営野洲川農業水利事業』として野洲川ダムが建設された。その後愛知川の永源寺ダム等が灌漑専用として建設され、近江盆地の灌漑事業は飛躍的に改善した。 一方高度経済成長に伴い大阪市・京都市等の関西圏は急激な人口の増加に加え、阪神工業地帯の膨張もあって水需要の必要性も叫ばれた。これに対し政府は1962年(昭和37年)に水資源開発促進法・水資源開発公団法を制定。水資源開発公団(現:独立行政法人水資源機構)による水資源総合開発計画を策定した。淀川水系は利根川水系と共に法制定の同年、水資源開発水系に指定され、『淀川水系水資源開発基本計画』に則り琵琶湖を含めた淀川水系全般の水資源開発に乗り出した。 これに基づき建設省より高山ダム(名張川)の事業承継を受けたのをはじめ、『木津川上流総合開発事業』として青蓮寺ダム(青蓮寺川)・室生ダム(宇陀川。計画当時は宇陀川ダム)・布目ダム(布目川)・比奈知ダム(名張川)の「木津川上流ダム群」を木津川流域に建設。日吉ダム(桂川)を桂川流域に、一庫ダム(一庫大路次川)を猪名川流域に建設し、長柄可動堰(後に淀川大堰として改築)を大阪市に建設した。これによって関西地方の水需要は大幅に好転。現在は丹生ダム(高時川)・川上ダム(前深瀬川)が建設中である。
※この「灌漑と水資源開発」の解説は、「淀川」の解説の一部です。
「灌漑と水資源開発」を含む「淀川」の記事については、「淀川」の概要を参照ください。
- 灌漑と水資源開発のページへのリンク