濱名惣社神明宮とは? わかりやすく解説

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浜名惣社神明宮

読み方:ハマナソウジャシンメイグウ(hamanasoujashinmeiguu)

別名 三ヶ日神明宮

教団 神社本庁

所在 静岡県引佐郡三ヶ日町

祭神 天照皇大神

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

濱名惣社神明宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/04 16:43 UTC 版)

濱名惣社神明宮
所在地 静岡県浜松市浜名区三ケ日町三ケ日大輪山122 
位置 北緯34度48分41秒 東経137度33分08秒 / 北緯34.81139度 東経137.55222度 / 34.81139; 137.55222 (濱名惣社神明宮)座標: 北緯34度48分41秒 東経137度33分08秒 / 北緯34.81139度 東経137.55222度 / 34.81139; 137.55222 (濱名惣社神明宮)
主祭神 天照皇大御神
社格 式内社
郷社
創建 不詳
別名 お神明さま
例祭 8月2日
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濱名惣社神明宮(はまなそうしゃしんめいぐう)は、静岡県浜松市浜名区三ケ日町にある神社である。

歴史

創立は詳らかではないが、口碑によると垂仁天皇の皇女倭姫命天照皇大御神神勅によって三種の神器を奉じて大和の国より伊賀伊勢美濃尾張の地を経て鎮座の地を定めよとの思召しによって太田命の先導で船にてこの地に行幸になり四十余日御行宮の後、更に神託によって勢州渡会の五十鈴川の辺に移御なされた。

本殿は浜名神戸より伊勢神宮へ貢進品の収納庫として使われたといわれ板倉造(井籠造)という全国でも類の少ない古式の形式で歴代の将軍国守の尊崇の念が厚く特に豊臣徳川両氏の代々の将軍は掟を定めて朱符の田四十二石を寄進して崇敬の意を表している。[1][2]

式内社の英多神社の論社とされる[3]

明治五年八月二日に郷社に列する。

明治四十年二月十一日に神饌幣帛料供進に指定される。

祭神

境内掲示によると、上古三ケ日地方を統治した浜名県主が、祖神太田命を祀り[3]、その後天慶三年(940年)に三ケ日地方が伊勢神領になるに及んで天照皇大御神が主祭神となり太田命は従的位置になったものと推定される。

摂末社

摂社

末社

文化財

重要文化財(国指定)

静岡県指定重要文化財

参考文献・サイト

  1. ^ 濱名惣社神明宮
  2. ^ 濱名惣社神明宮 - 静岡県神社庁
  3. ^ a b 宝賀寿男「甲斐国造の系譜と一族の続き」『古樹紀之房間』、2016年。


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