漢字の伝来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 13:37 UTC 版)
『日本書紀』と『古事記』には、百済王の使者、阿直岐(古事記には阿知吉師)が経典に通じていたため、応神天皇15年(284年)に皇太子、菟道稚郎子の師となり、その阿直岐の紹介により応神天皇16年(285年)2月に入朝した王仁(古事記には和邇吉師)が『論語』10巻、『千字文』1巻を献上したと記されている。 この時代に将来した筆跡 貨泉紀元8年、漢の皇帝の外戚である王莽が漢の国を奪って「新」王朝を建てた。この新の時代にだけ作られた銅貨が日本の弥生時代の古墳から発見された。この銅貨には「貨泉」という篆書体の文字が鋳込まれていたため貨泉(かせん)と呼ばれる。『漢書』「食貨志」によると、貨泉は天鳳元年(14年)に鋳造され、新が滅亡するまでの12年のあいだ流通したという。日本には1、2世紀のころに伝わったと考えられている。この「貨泉」の文字が日本で出土した文字の遺品中、最古の製造物とされている。 漢委奴国王印江戸時代後期の天明4年(1784年)、筑前国(現在の福岡県)の志賀島で金印が出土した。印には「漢委奴国王」と刻してあり、黒田藩の儒者、亀井南冥は『後漢書』の記事に符合するとした。それによると、この漢委奴国王印は後漢の建武中元2年(57年)光武帝が奴国の使者に賜わったとあり、先の貨泉に次いで古い年代のものとなる。 将来した筆跡一覧筆跡名年代書体現所在貨泉(硬貨) 8年 - 23年 篆書 国立歴史民俗博物館 漢委奴国王印文 57年 篆書 福岡市博物館 石上神宮七支刀銘 369年ごろ 楷書に近い 石上神宮
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