演奏家・作曲家として
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静岡県熱海市にある旅館瑞雲荘大野屋(後のホテル大野屋)の創業家に生まれ、小学生の時からピアノを始める。6年生の2学期までは地元の小学校に通い、その後は小田原にある小学校・中学校まで越境通学していた。小田原市立第一中学校(現:小田原市立城山中学校)卒業後は慶應義塾高等学校に進学。同級生だった明石勇(クラリネット担当、後にNHKアナウンサーとなる)らと「ジュニア・ライト・ミュージック」を結成。同時期に、独学でジャズを学ぶ。慶應義塾大学法学部政治学科に入学後は、名門ビッグバンド「慶應義塾大学ライトミュージックソサエティ」に所属。鈴木"コルゲン"宏昌、佐藤允彦らと共に「慶應のピアノ三羽烏」と呼ばれた。佐藤は『証言で綴る日本のジャズ史』の中で、慶應在学中に大野と遊びながら和音を作ったと証言している。大野は前田憲男に師事した。 大学在学中、渋谷毅の推薦で藤家虹二クインテットに所属し、プロ・ピアニストとなる。その後白木秀雄(大野のアルバム・デビューは、東芝から発売された白木秀雄クインテットでのLP『HIDEO SHIRAKI MEETS YUZO KAYAMA』)のバックを経て、自らのバンド「大野雄二トリオ」を結成する。 1970年代前半にピアニストを休業し、作曲家活動に専念。テレビドラマや映画の劇伴などを手がけ始める。1975年には、しばたはつみの「シンガー・レディ」を作曲した。アルバムでは11曲中8曲を作曲している。 1976年、映画『犬神家の一族』の音楽を担当。なお、同作に主演した石坂浩二は慶應義塾高等学校・慶應義塾大学法学部の同級生であり、アルバム『音楽と幻想』をリリースしている。劇場公開時のパンフレットには、石坂が大野のレコーディングスタジオを訪ねた記事が掲載されている。 多いときは、ルパン1シリーズで200曲も書いたという。楽器は使わず、朝起きたらすぐに鉛筆を握り、五線紙に向かう。新シリーズのたび、1日15時間を作曲や編曲に費やす生活を3カ月間続けた。
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