演奏家としての位置付け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 07:04 UTC 版)
オーボエなどのダブルリード楽器はリードの調整を始めとして難しい課題が多い事から、明治初年の洋楽導入の際に後回しにされ、後進性を抱えたまま半世紀近くが過ぎて、一般には「粗野な音しか出ない単調な楽器」と考えられていた。戦時中から戦後の困難な時代に、これを殆ど独力で本来の「美しく歌わせる楽器」に脱皮させた事が、鈴木清三の最大の功績である。英国の奏者レオン・グーセンスのSP盤レコードが最大の師であったとは、後年の本人の述懐である。 その後、1956年来日のロサンジェルス・フィル首席バート・ギャスマンとの出会いにより、アメリカの奏者の多くに一般的なロングスクレープ(→オーボエ#モダン・オーボエのリードの項参照)のリードを使用した国内最初の演奏家となった。しかし一方では、多くの門下生が世界の各地域に広がって様々なスタイル(奏法)で活動しており、特定のスタイルを超えた幅広い影響力を以て慕われて来た事を物語っている。 その演奏の基本は「歌心」であり、独奏楽器としてのオーボエを広く認知させる上での功績も大きい。独奏曲・室内楽曲の作曲家への委嘱も活発で、平尾貴四男のオーボエ・ソナタを始めとして広く知られている曲も多い。
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