演奏会への不信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 14:14 UTC 版)
演奏会において正しく燕尾服を纏い観客を圧倒するパフォーマンスをみせることが優れた演奏家の当然の条件のようにいわれた時代にあって、自身の気に入ったセーターを着て特注の椅子に座って演奏するなど奇抜なスタイルで演奏会に臨んでいたグールドは、そもそも演奏会そのものに対して批判的であり、デビュー以来ライヴ演奏に対する疑問や批判を繰り返していた。グールドは、この点について大変に雄弁であり、多くのユニークな論拠を挙げている。第1は、演奏会の不毛性・不道徳性であり、グールドによれば、演奏会での聴衆は言ってみれば「血に飢えて」おり、演奏者は失敗を畏れて志を失い、ひいては「寄席芸人に身を落としてしまう」という(これは、聴衆が批評家として演奏家の演奏上の失敗を探すことに喜びを感じ、それら批評家と化した聴衆を技巧と才能で黙らせる演奏者との対立的な演奏会のことを揶揄したとされている)。また、演奏会やコンクールに特有の競争性にも否定的で、「演奏行為は競争ではなく情事である」とも語っている。また、演奏会では、演奏者と聴衆は平等な関係を失っているという。第2には、ライヴ演奏の一回性への疑問であり、それを「ノン・テイク・ツーネス」とよび、録音技術の登場によりライヴ・コンサートはその意義を失ったとまで説いた。結局グールドは、コンサート・ドロップアウト後は、どんなに頼まれても演奏会で演奏することはなかった。現在では、コンサートドロップアウトには、後述するグールドの繊細で完璧主義な性格や、現在に比べると安全性が極めて低く、非常に大きな騒音と振動で乗客を疲労困憊させる飛行機を嫌ったこと も大きな要因であったといわれている。
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