満鉄経営下の鞍山製鉄所
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「昭和製鋼所」の記事における「満鉄経営下の鞍山製鉄所」の解説
南満州鉄道(満鉄)地質課長(木戸忠太郎)の1909年(明治42年)地質調査から、西鞍山と東鞍山並びにその近郊において鉄鋼資源の発見に至り、製鉄所の建設検討が開始された。 製鉄所を鞍山に設置する計画は、南満州鉄道総裁の中村是公が1913年に日本政府に対して建議したことに始まる。満鉄は、埋蔵量が豊富で水資源や交通の便もよいこの地が製鉄所の適地として日本政府に建設を申請し、1916年10月に許可が下りる。許可後の1917年3月に製鉄所は鞍山製鉄所と命名され、同年に着工された。建設に当たっては、張作霖からの便宜を得て土地を収用し、用地は南満州鉄道附属地に編入されて満鉄が一部の行政権を執行する形となった。1918年5月、満鉄社内の「鞍山工場準備掛」と「沙河口工場建設課」を母体に、「鞍山製鉄所」が正式に設立された。鉄鉱石等の供給は、同時期に設立された日支合弁の鞍山製鉄振興公司が行った。 1919年4月に1号高炉の「火入れ」がおこなわれ、操業を開始した。しかし、操業後まもなく第一次世界大戦の終結に伴い、世界的に鉄鋼需要が減少し、経営は難航した。加えて、鉄鉱石の品位が低かったこともコストを押し上げたが、これについては技術的な対応や、設備の拡充(2号高炉や選鉱場の建設)により、2号高炉が操業開始した1926年以降はコストが大幅に下がり、製鉄所として利益が出せるようになった。1930年には3号高炉も操業を開始している。 1932年(昭和7年)年度の雇用は、製鉄所だけで約4900人、内訳では現地雇用の満州人が約8割であり、インフラをはじめとした基礎的産業や公的施設等の建築、雇用促進などに寄与していた。
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