港市国家と後背地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 14:51 UTC 版)
東南アジアの港市国家の立地は必ずしも一様ではなかったが、それに対し、港市と後背地の区別は明瞭であり、両者は好対照をなしていた。港市は、対外的な交易と地域における主要な消費地であって、各地域の政治と経済の中枢を担い、また、来訪者に対し、広く開かれていたのに対し、後背地は消費財の生産地であり、外来者に対してはむしろ閉じられていた。そもそも港市支配者は、外来商人と領域内の住民とを仲立ちすることこそが自らの拠って立つ基盤であった。内陸部の後背地から港市には、胡椒・ナツメグ・丁字などの香辛料や穀物などといった農産物、沈香などの香木、竜脳などの香料、黒檀・蜜蝋・籐などの林産物、金や錫などの鉱産資源、さらには犀角や象牙といった動物由来の産物が供給され、沿岸部の後背地からは、鼈甲、珊瑚、真珠、燕巣、ナマコ、海草などの水産資源が主にもたらされ、港市はその集散地となった。 港市には、現地の支配層と外国人居留民がおり、後背地には被支配層の在地民が住んでいたが、支配層と被支配層は民族的出自が異なる場合が多く、たがいに日常的な接触を持たないケースが多かった。他方、高価格で取引される交易品を生産する地元民と外国人商人との接触は厳しく規制され、これらの生産・採集・漁労および集荷は現地の支配・被支配関係を通して行われていた。特に内陸部の住民にとって、外国人商人はしばしば感染症を現地に持ち込んだり、武力を背景に奴隷狩りをおこなったりする危険な存在でもあった。東南アジア各地で流布された「人喰い族」や「女人が島」「妊婦を人柱にする王」などといった「野蛮」「原始的」「好戦的」ないし「不気味」な風聞や伝承の数々は、外国人商人が直接生産地に進出することを阻止するために、港市の支配者によって、むしろ意図的に流布されたものだったのである。さらにまた、王の超人性を示す口承の存在は、「文明世界」と「異界」とを介在する者としての性格を濃厚に内包するものであった。
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