済州新聞による反証
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 16:41 UTC 版)
「吉田清治 (文筆家)」の記事における「済州新聞による反証」の解説
1989年に吉田の著書が韓国で翻訳された。 日本の歴史家秦郁彦は、現地の図書館で済州新聞での批判記事を見つけ、これを1992年に日本で紹介した。秦郁彦によれば、1989年8月17日に慰安婦狩りの舞台とされた済州島の現地新聞「済州新聞」の許栄善記者は、済州島で「慰安婦狩り」の話を裏付け証言する人はほとんどいないとし、城山浦に住む85歳女性の「250余の家しかないこの村で15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」という証言を紹介したとする。また、済州新聞の同記事で、済州島の郷土史家金奉玉は、「1983年に日本語版が出てから何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨しているとする。 ただし、そもそも済州島では太平洋戦争終了後に済州島四・三事件(済州島事件、四・三事件とも)と呼ばれる事件が起こり、その後も反共運動による弾圧・殺戮事件が続き、虐殺や島外脱出により、多くの島民がいなくなるという激動を経ており、そのような歴史のもとで果たしてこのようなことが証言できる人間がそもそも本当にいたのか、また、この秦の報告に対し韓国で異論が出ており、その詳細については、後述の「秦郁彦による済州島現地調査」で触れる。
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