海軍省呉建築部
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「シェイ式蒸気機関車」の記事における「海軍省呉建築部」の解説
呉海軍工廠の建設用として、1921年製のクラスB 42-2を2両導入しており、ライマの製造番号は3160、3161、代理店はTanaka & Co.、軌間1435mm、石炭焚きボイラーで、価格は1両あたり65,703.196円(運賃等込)であった。導入後は海軍省呉建築部の3号機および4号機となり、アメリカン・ロコモティブのクック工場、1920年製の32tB形サドルタンク機の1、2号機とともに呉第四ドック建造工事に使用された。その後1935年には海軍省施設部横須賀第六ドック建設工事に転用されて借3号機、借4号機となり、同じく呉第四ドックの1、2号機が転用された借1、借2号機および、日本車両製の2両(無番号)とともに使用され、工事終了後には呉に返却されている。その後に呉建3号機および呉建4号機、1940年頃にはET2号機およびET3号機に改番され、さらに1941年には海軍省呉施設部に移管されて江田島で終戦を迎え、書類上は大蔵省所管となっている。江田島では海軍兵学校大原分校および隣接の飛行場の建設に使用されてその後そのまま存置されていたが、現地は戦後米軍に接収されており、本機もそのまま行方不明となっている。 呉建築部ではいずれもアメリカ製の蒸気式掘削機2両、ダンプカー40両とともに、山地の開鑿およびドックの掘削に使用されていた。蒸気式掘削機は1両はバケット容量3.8m3、自重130t、もう1両はバケット容量4.6m3、自重306tのものであり、また、ダンプカーは2軸ボギー式、荷台容量15.3m3、全長9449mm、全幅3150mmで、空気式シリンダーで左右に荷台を傾けるものであった。呉における3号機および4号機の使用成績は良好で、.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0} 特にShay型は當初組立に苦心を要したるが牽引力大なる上斯る工事用rough track及sharp curveの使用に當りて、脱線及機関の故障少なく極めて有効に使用するを得たり。 —服部保、スチーム・ショベルに依る掘鑿並にジレトリー・クラッシャーの砕石作業に就て p.610 とされている。
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