海軍省次席副官
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海軍省副官は海軍次官直属の重要配置で、事務当局が作成した文書の全てに関与する激職であった。後に同職を務めた福地誠夫によれば一日に押した判子の数は約3千である。横山の在職中は日独伊三国軍事同盟締結問題の最中で、海軍大臣・米内光政、海軍次官・山本五十六、軍務局長・井上成美らが同盟に反対していたため暗殺の危険があり、横山らは拳銃を携帯し、海軍省は襲撃された場合への対応を整えていた。横山は三国同盟について、独伊の海軍力が日本を援助することはできない一方で、日本は米英海軍に対抗することとなり、軍事同盟が互恵をなしていないとして「狂気の沙汰」としている。駐米大使・斎藤博が客死した際、その遺骨を日本へ送り届けた米重巡「アストリア」艦長、リッチモンド・K・ターナー大佐と面識を得たのはこの副官時代であった。
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