海軍省による購入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 22:04 UTC 版)
「エンデバー (帆船)」の記事における「海軍省による購入」の解説
1768年2月、王立協会は国王ジョージ三世に南太平洋の探検を請願した。探検の名目は金星の太陽面通過の観測であったが、真の目的は、クックに海軍省の追加命令により伝達された。即ち、南方大陸 (テラ・アウストラリス、Terra Australis) を求めて南太平洋を探索することであった。 王立協会の請願は承認され、新造船が海軍省によって2,307ポンドで購入され王立協会の探検に充てられた。探検航海に適うように、1768年にテムズ川河畔のデプトフォードで、船体の防水や第三甲板の増築など大規模な改造を施された。海軍では三檣帆船として登録され、海軍に既に在籍していたスループ船の別のエンデバー号と名称を区別するために、三檣帆船エンデバー号 (Endeavour Bark) と通称された。エンデバー号は第一回航海で94人の乗員を載せた。 当初、王立協会のアレクサンダー・ダリンプルが航海の司令官として推薦されたが、ダリンプルは海軍の乗組員を統制するために艦長の任命を受けることを求めた。しかし、海軍大臣エドワード・ホークはこれを拒絶し、国王陛下の船をただの一隻でも海軍以外の者に委ねる命令に署名するくらいなら自分の右手を切り落とす、と言い出すほどであった。その少し前に、似たような任命を行なったが乗組員が従わずに失敗した事件が、ホークの念頭にはあったものと思われる。 ニューファンドランド島とラブラドールにおける測量で業績を上げたジェームズ・クックを、フィリップ・ステファンスが推薦したことによって行き詰まりは打開された。海軍省は推薦を受け入れ、1768年5月25日にクックを海尉に昇進させた (だからクックは海軍における階級としてはキャプテン(艦長)ではなかったのだが、船の指揮官として乗員にはあたりまえにキャプテンと呼ばれた)。ダリンプルはこの決定に憤慨した。 主要な乗員には、イギリスの博物学者ジョゼフ・バンクス、フィンランドのヘルマン・スペーリング、スウェーデンのダニエル・ソランダー、天体観測の責任者であったイギリスの天文学者チャールズ・グリーン(英語版)らが挙げられる。
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