浮世絵師へとは? わかりやすく解説

浮世絵師へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 07:17 UTC 版)

鳥文斎栄之」の記事における「浮世絵師へ」の解説

栄之狩野典信師事した後に文竜斎師事し、すでに天明1781年 - 1789年後期頃から浮世絵師として活動始めており、初作は天明5年1785年刊行黄表紙其由来光徳寺門』の挿絵である。初期の作品は、天明期の美人画界の巨匠鳥居清長影響強く清長風の美人画などを描いている。寛政元年家督譲った後は本格的な作画活動専心し寛政1789年 - 1801年期に栄之独自の静穏な美人画画風打ち立てた。特に女性全身像に独自の様式確立十二頭身表現される体躯柔らかな錦絵美人画寛政後期まで多数制作している。栄之描線細やか優美その女性像は背丈スラッとした優雅なもので、当時ライバルだった喜多川歌麿作品見られる色っぽさや淫奔さとは、はっきりと一線を画したものであった栄之遊里生きる女性理想像昇華し清長よりもほっそりとして、歌麿のような艶麗さがなく容貌物静かといった栄之独自のスタイル確立している。また『源氏物語』などの古典題材当世風に描いた3枚続「風流略(やつし)源氏」のように、彩色は墨、淡墨、紫、黄、緑といった渋い色のみを用いた紅嫌い」と呼ばれるあっさりとした地味なもので、それでいて暖かみ感じさせる独特の雅趣のある表現好んでいた。この「紅嫌い」の創案者は栄之であるといわれる栄之はこの作風をもって一枚絵歌麿その人気を競った中判柱絵にも優れた作品があるが、錦絵代表作ではシリーズ物の「風流略(やつし)六哥仙」、「風流名所十景」、「青楼美撰合」、「青楼芸者撰」、「青楼美人六花仙」などがあげられるなかでも青楼美人六花仙」のシリーズは黄潰し背景花魁座像気品高く描いており、栄之ならではの傑作とされている。反対に歌麿が得意とした美人大首絵は全く手掛けておらず、あくまで全身像にこだわる栄之姿勢窺える栄之細田であったが画姓としてはこれを用いず別に細井氏を名乗っているものがあり、その一例として寛政13年1801年)、葛飾北斎共作した西村屋版の豪華な色摺り絵本新版錦摺女三十六歌僊絵尽』に「細井文斎筆」とあるのをあげられる。これも家柄憚ってのことと思われる

※この「浮世絵師へ」の解説は、「鳥文斎栄之」の解説の一部です。
「浮世絵師へ」を含む「鳥文斎栄之」の記事については、「鳥文斎栄之」の概要を参照ください。

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