浮世絵師となるまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 14:52 UTC 版)
江戸本所にて幕臣の子として生まれる。9人兄弟の末子で、幼名は勝之助。1862年(文久2年)、15歳の時に父が亡くなった為、勝之助が元服し、清親を名乗り、家督を継ぐ。 1865年(元治2年・慶応元年)の徳川家茂上洛(第二次長州征討)に随行し、そのまま大坂に留まる。1868年(慶応4年)1月の鳥羽・伏見の戦いに加わった。 幕府消滅後、徳川慶喜らを追って静岡に下る。1870年(明治3年)12月から翌71年(同4年)4月頃まで、食客となった鷲津(わしづ)村(現:湖西市鷲津)にて、同居者の子孫から、清親は「暇な時は絵を描いていた」との証言がある。 生計を立てる為、1874年(明治7年)、東京に戻る。
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