浄の池を訪れた文人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 06:05 UTC 版)
「浄ノ池特有魚類生息地」の記事における「浄の池を訪れた文人」の解説
天然記念物に指定されたことにより、浄の池はより広く世間に知られるようになり、伊東温泉を訪れる人々の多くが浄の池へ足を運んだ。指定翌年の1923年(大正12年)9月の関東大震災による津波により、浄の池は一部が埋没する等の被害を受けたものの、浄円寺住職をはじめ檀家、周辺の人々の尽力により、僅かに残存した5種の異魚を丁重に保護し、池を含む周辺が再度整備され、このときは天然記念物の指定は解除されることなく、伊東の名所として存続し続けた。 大正から昭和初期頃はまだ大型観光ホテルのような宿泊施設は無い時代であり、自家源泉を持つ温泉旅館は存在したものの、和田湯のような外来型の温泉施設の周辺にある簡素な宿泊施設には数日間投宿し、宿舎より各温泉施設へ通い入浴を行う人々も多く、そのような界隈に位置する浄の池は、温泉街を散策する観光客にとって格好の場所であった。 1938年(昭和13年)には国鉄伊東線が熱海駅から伊東駅まで全線開業したことにより、東京からほど近く気候も温暖な伊東は、観光地として急速に発展し、静養地として多数の財界人、文化人が訪れるようになり、浄の池もまた伊東温泉随一の名所として多くの人々が訪れるようになった。小説家など文人も伊東を訪れ、同市出身の木下杢太郎をはじめ尾崎士郎らが伊東を舞台とした作品を残している。伊東を訪れた文人の中でも、浄の池へ足を運んだ種田山頭火と室生犀星は、それぞれ著書の中で浄の池について言及し、室生犀星は詩を残している。
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