浄住寺と茶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 00:49 UTC 版)
中世、栂尾等に並び、葉室の茶は評価が高かった。宇治橋修繕と十三重石塔建立に伴う、宇治茶の振興をすすめた叡尊の影響による。境内には今でも数多くの茶ノ木が生育している。浄住寺の檀那である葉室家主導のもと、寺院関係者による茶摘みが毎年5月上旬に行われ、瑞芳菴流煎茶道関係者によって度々振る舞われている。 方丈襖絵には八田虎州筆『琴棋書画図』が飾られているが、その中には煎茶を喫する様子も描かれている。また、方丈を寄進した仙台藩主伊達綱村は、交友関係から煎茶を嗜んでいた。そもそも、日本に煎茶の文化を持ち込んだのは黄檗禅であり、浄住寺と茶は深い関係にある。瑞芳菴流煎茶道の第三世・大田和博仙家元は、この浄住寺で修行していたこともあり、そのため毎月瑞芳菴流煎茶道の教室が開かれたり、呈茶を担ったりしている。
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