法華一乗の涅槃経解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/01 07:09 UTC 版)
天台宗における教学では、釈迦一代の教説(経典)を、「蔵・通・別・円」と「化法の四教」に分ける。蔵・通・別の前三教は、すでに『法華経』までの経典で説いた、そして『法華経』で円教を開会(かいえ)し説き終ったとする。しかし、なお機根の熟していない(あるいは低い)衆生の為に、さらにこれらの四教を『涅槃経』で説いたとする。したがって『涅槃経』は『法華経』で既に述べた教説を機根の低い衆生に重ねて説いただけにすぎない、とされる。 また、『法華文句』には、 然るに本門の得道は衆経に数倍せり。但だ数の多きのみにあらず。又、薫修して日久し。元本より迹を垂るる、処処に開引し中間に相ひ値て数数成熟し、今世には五味に節節に調伏し、収羅結撮して法華に帰会す。譬へば田家の春生じ夏長じ、耕種し耘治し、秋収め冬蔵て一時に穫刈するが如し。法華より已後、得道有るは、捃拾の如くならんのみ。 — 『法華文句』 と、『涅槃経』にある「秋収冬蔵」の経文を引き合いに出し、『涅槃経』の円常(円満なる常住の教説)を『法華経』に摂した。 涅槃宗は当初これらの智顗説に反論を呈したが、智顗の聡明なる智慧と実践力のもとに涅槃宗は次第に反論する機会を失い、天台宗に併合されることになったといわれる。 これは、日蓮も『報恩抄』において、次のように述べている。 また法華経に対する時は、是の経の出世は乃至法華の中の八千の声聞に記別を授くることを得て大菓実を成ずるが如く、秋収冬蔵して更に所作無きが如し等と云云。我れと涅槃経は法華経には劣るととける経文なり。かう経文は分明なれども、南北の大智の諸人の迷うて有りし経文なれば、末代の学者能く能く眼をとどむべし — 日蓮『報恩抄』
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