法・慣習の成立(固有法の時代)
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「日本法制史」の記事における「法・慣習の成立(固有法の時代)」の解説
古代のみならず前近代社会においては一般に法と慣習は一体となっており両者は未分化の状態であったといわれる。 古代日本においても例外ではないが古く魏志倭人伝は 3世紀の邪馬台国の状況について、 「盗窃せず諍訟少なし。其の法を犯すや軽き者はその妻子を没し重き者は其の門戸及び宗族を滅す。尊卑各々差序有り相臣服するに足る。」 と述べこのときすでに刑法および身分制に相当する法または慣習の存したことを伝えている。こうした法や慣習の生成する基盤に2種がある。 内部的基盤 - 人の集住により形成され、地域の共同団体または共同組織の内部に生成した秩序 外部的基盤 - 政治的社会の発達にともない、上位政治的権力がもつ共同団体相互間に発生する紛争の調停機能 今日の学界の共通的理解では日本の古典にみられる刑罰の多くは (1) を基盤とする内部的刑罰に属し(2) を基盤とする外部的刑罰は日本古代においては未成熟であったと考えられている。次の例は(2)が(1)を基盤として生まれたことを示す。 内部的基盤の例:高天原の秩序を乱したスサノオ が八十万神の合議により千座置戸(ちくらおきど)を科せられたうえで神逐(かんやらい)すなわち追放刑に処せられた。これは(1)の内部的なものを基盤として生まれたことを示す。つまり共同体秩序の侵害者に対し、内部的刑罰としての財産没収刑と追放刑(平和喪失)の神話的表現であったとみられる。 外部的基盤の例:天津罪の中に農業慣行違反として次のものがある。 畔放(あはなち)・溝埋(みぞうめ)・誇放(ひはなち)などの農業用水施設の破壊。 頻蒔(しきまき)(他人が播種した水田に重ねて種をまき自分の耕作地であると主張する行為)、串刺(くしざし)(収穫期に他人の耕作した田にクシを刺し自分の耕作地であると主張する行為) 。 このように、共同体秩序が犯された場合に大祓(おおはらえ)が行われる。大祓は本来、共同体成員全員が参加しなければならなかったと推定される。このことは大祓などの慣行が 1.を基盤として生まれたものであることを示している。 日本古代で、2.の外部的なものを基盤とする法・慣習は、上位の政治権力による1.の内部的を基盤とする法・慣習に規制されながら、またその法・慣習を取り込みながら政治的かつ専制的な法として発達したのであった。この点を石母田正はつぎのように図式化している。 石母田はまず 2.を基盤として発達した法または慣習を族長法としてとらえる。この族長法の特徴は 1.を基盤とする法または慣習を自己の法にとりこみつつこれを族長権力の維持のために活用した点にある。 たとえば上述の各地域の共同体が独自に行っていた大祓は族長によって〈国之大祓〉とされ族長が挙行するものとなる。またたとえば内部に発生した犯罪に対し共同体が有した検断権、裁判権などは族長の手中に集中され盟神探湯(くかたち)などの神判や拷問をともなう裁判が族長によって行われる。
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