江戸三十三箇所の起源とは? わかりやすく解説

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江戸三十三箇所の起源

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 01:22 UTC 版)

江戸三十三箇所」の記事における「江戸三十三箇所の起源」の解説

江戸時代西国三十三所坂東三十三観音などの観音霊場巡礼流行した際、各地既存観音巡礼模した新たな札所写し霊場)が設けられた。江戸では特に西国三十三所(本西国)に見立てて三十三の寺院を選ぶ西国写し霊場流行した江戸時代江戸市中周辺には記録残っているだけで二十ヶ所もの西国写し霊場存在していたとされる。 これらの霊場は、「昔、京順礼江戸順礼といふことありときけり。是は富家婦女、又茶屋者風呂屋物などとなへし売女の類、衣装伊達尽くし笈摺をかけて、実の順禮如くいでたち洛陽三十三所観音へまうつるを京順禮と云なり。江戸順禮も又是におなじ」とあるように、「幕府厳し規制下で自由に衣装本能謳歌できない都市女性近く巡礼仮託して風俗解放求めたもの」(前掲近藤の説)とされ、京都流行した後白河法皇選定洛陽三十三所観音霊場巡礼をもととし、信仰よりもレジャーファッション一環として行われていたものであった。これら数々江戸三十三箇所神仏習合のものもあり、例えば「江戸西国三十三所」では、「ここから眺め不忍池景色が、石山寺から眺め琵琶湖景色似ている」という理由上野五條天神社 (台東区)札所一つにされていた。 現行の江戸三十三箇所もこの江戸時代観音巡礼一つ起源を持つとされており、元禄年間設定観音巡礼は「武蔵三十三箇所」「江都古来三十三箇所」の2つあり、現在のものがどちらを起源とするのかは良くわからない田上善夫は現在の昭和新撰江戸三十三観音札所」の前身寛文8年1668年選定の「江都三十三所観音」とする。 いずれにせよ現在の札所には3番大観音寺、5番大安楽寺など明治時代創建果ては昭和26年開創世田谷観音寺といった近現代作られ寺院含まれており、田上によれば江都三十三所観音」の33ヶ所中19箇所廃絶し昭和新撰時に19箇所新規に加えられたとしている。なお、平成4年には30番札所入れ替わっている。(淡交社編「御朱印巡礼」による)下記の一覧も、この昭和新撰のものを記載している。

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