江戸下向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 15:23 UTC 版)
文政5年(1822年)守村抱儀により江戸に招かれ、伊勢国、尾張国で交流しつつ三河国吉田で年を越し、文政6年(1823年)4月27日江戸に到着した。 文政7年(1824年)3月鹿島神宮に参詣、文政8年(1825年)2月 利根川筋を旅し、6月帰宅した。文政9年(1826年)剃髪した。文政10年(1827年)3月佐原、東金、新勝寺を巡り、安房国素共庵に逗留した。 文政12年(1829年)3月21日神田豊島町の自宅を焼け出され、5月佐原、東金を再訪した。8月草加宿から日光まで『奥の細道』の行程を辿り、10月帰宅した。天保3年(1832年)5月常陸国小川、安食を旅した。
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