水利の争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 12:22 UTC 版)
ナイル川の水は周辺諸国にとって貴重であり、激しい争奪戦の的となってきた。特にエジプトは国土全域でほとんど降雨が無く、エジプト南部では5年間連続で一切降雨が観測されなかった地点も記録された程である。このようなエジプトにおける1996年時点での外国からの流入地表水への依存率は、97パーセントにも達する。エジプトに流入する河川はナイル川しか存在しないため、この依存率はそのままナイル川への依存率であり、ナイルの水無しでは、エジプトが存立し得ない事が示されている。 この事は昔から知られており、1929年にはエジプトとイギリスとの間で、水利協定が結ばれた。この協定において、両国間の水配分が決定され、エジプトは自らの水の利用に影響する上流での河川開発事業において、拒否権を保持すると定められた。 さらに1959年にはスーダンとエジプトの間に新たな水利協定が結ばれ、ナイルの年間水量840億 m3のうち、蒸発分100億 m3を除いた、555億 m3がエジプトの利用分、185億 m3がスーダン利用分と決定された。 しかし、この配分や既得権はエジプトにとって非常に有利であるため、特に上流域諸国において不満が高まっていた。そこで1999年2月にナイル川流域イニシアティブ(Nile Basin Initiative、NBI)が流域9カ国によって結成され、ナイル川の総合開発や水資源の配分について、総合的に話し合う場が形成された。ただ、それでも上流域諸国の不満は強く、2010年5月には「ナイル流域協力枠組み協定」という新協定が提案された。これは他国に影響を与えない範囲で自国内の水資源を自由に使えるようにするための協定で、上流域諸国の広い支持を得たものの、下流に当たるエジプトとスーダンは水の割当量減につながるとしてこれを拒否した。一方で上流域のエチオピア、ケニア、ウガンダ、ルワンダ、タンザニアは、この協定に署名を行い、さらにナイル川の水量を上流で最も支えているエチオピアはグランド・エチオピア・ルネサンス・ダムの建設を推し進め、両陣営間の対立が表面化した。
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