民間への再転用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/17 04:05 UTC 版)
「PV-1 (航空機)」の記事における「民間への再転用」の解説
戦後はアメリカの同盟国に供与された。カナダ空軍と南アフリカ空軍に供与されていたPV-1は、1950年代から1960年代にテキサス州サンアントニオのハワード・エアロ社(Howard Aero)によって高速高級輸送機へ改造された。スーパー・ヴェンチュラ(Super Ventura)と呼ばれる初期の改造機は、122cm(48インチ)へと胴体が拡張され、燃料タンクや大きな写真窓、豪華なインテリアが追加された。武器を輸送するための武器庫だった部屋は貨物室となった。降着装置は、PV-2ハープーンに採用された大型のものへと交換された。1960年代にスーパー・ヴェンチュラが18機改造された後の改造機は、ハワード350と呼ばれるようになった。 客室の加圧改造型であるハワード500は22機改造された。ハワード社の最後のPV-1改造型はエルドラド700で、より長い翼、尖った機首、より空気抵抗が減る形状のエンジンカウリングを備えていた。 1954年12月17日に民間型における特筆できる事故が発生した。マニトバ州のウィニペグへ向かおうとした機体が、離陸直後にエンジントラブルによって、ウィスコンシン州のミルウォーキーにあるミッチェル飛行場へ墜落したというものである。搭乗していたのはミラー・ブルーイング・カンパニーの社長で、創業者フレデリック・エドワード・ジョン・ミラーの孫でありアメフトの選手であったフレデリック・C・ミラーとその長男であるフレデリック・ミラー・ジュニア(当時20歳)、ミラー社の従業員でパイロットの資格も持つジョセフ・レアードとポール・レアード兄弟であったが、4人全員が事故により死亡した。
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