民主党離党後
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2012年(平成24年)7月11日、小沢はグループ議員とともに新党・国民の生活が第一を結党し、代表に就任した。新党の綱領は「自立と共生」で脱原発と反増税を掲げる。一方で、それまで一貫して小沢と行動を共にしてきた岩手の地方議員及び後援団体の大規模な離脱が表面化した。 同年11月12日、東京高等裁判所で一審を支持、同月19日に上告が断念されたことで、陸山会事件における小沢の無罪が確定した。 11月、国民の生活が第一を解党し、日本未来の党へ合流した上で自身は党職に就かないことを表明した。 直後の第46回衆議院選挙において、日本未来の党は61議席から9議席と大幅に議席を減らした。小沢は小選挙区のみで出馬し当選し15選。最多当選回数タイで初当選が同期の渡部恒三(福島4区)、羽田孜(長野3区)、森喜朗(石川2区)が政界を引退したために、2021年の第49回衆議院選挙に至るまで単独で最多当選回数を記録し続けることになる。しかし、この選挙においては岩手にある4区のうち、未来が議席を獲得したのは小沢の4区のみであった。小選挙区制度導入以降、2区を除いてすべての選挙区を一貫して小沢の所属政党の候補者が当選してきた中で、初めて小沢の地元での影響力の衰えが指摘された選挙となった。 12月、総選挙の惨敗を受けて、小沢系議員と未来の党代表の嘉田由紀子らとの対立が表面化した。嘉田らが離党する形となり、残留した小沢らは党名を生活の党に改称し、側近の森裕子が代表に就任した。 2013年(平成25年)1月25日、森裕子に代わって小沢が生活の党代表に就任した。同年7月21日に行われた第23回参議院選挙において、森裕子を始め公認した全員が落選し、さらに地元である岩手県では小沢と袂を分かった平野達男が当選した。
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民主党離党後
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2012年7月の「国民の生活が第一」結党の際には、脱原発を政策の柱として掲げ、10年後をめどに原発の全廃を目指すとした。
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民主党離党後
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「太田和美 (政治家)」の記事における「民主党離党後」の解説
2012年7月11日の「国民の生活が第一」結党に参加し、同年8月28日、党福島県総支部連合会(県連)代表に就任。 12月16日の第46回衆議院議員総選挙には、国民の生活が第一が日本未来の党に合流し、日本未来の党公認で福島2区から出馬するも落選。 2013年(平成25年)7月、生活の党から第23回参議院議員通常選挙における第5次公認候補として千葉県選挙区で出馬したが落選した。
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