氏族の広がり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 03:20 UTC 版)
東国六腹朝臣」とは上毛野氏、下毛野氏、大野氏、池田氏、佐味氏、車持氏の総称で、いずれも天武天皇13年(684年)に八色の姓において「朝臣」の姓を授けられた。「東国六腹朝臣」の名称自体は『続日本紀』の1条に記載されるのみであるが、その中で池原・上毛野2氏の出自が豊城入彦命であること、豊城入彦命の子孫である「東国六腹朝臣」は居地によって姓と氏を得たことが記載されている。東国六腹朝臣の特質として、畿外出身ながら「朝臣」という高いカバネの取得、国史編纂・律令撰定への参画、対朝鮮・対蝦夷政策への従事が挙げられる。そしてこれら6氏は各々独自の始祖を持っていたことが『新撰姓氏録』からわかる。 紀伊・和泉系氏族とは、本貫を紀伊・河内・和泉等とする氏族で、東国六腹朝臣グループとの重複も見られる。また、このグループにのみ八綱田命の記載が見られることや、皇別を称しながら未定雑姓に組み込まれた氏族があることも特徴である。 これらに関して、豊城入彦命の母が紀伊の豪族出身であったことに着目し、第3グループを氏族の発生地と見た以下のモデルが提唱されている。 500年頃以前 - 紀伊・和泉において文化・軍事両面で対朝鮮交渉に活躍。 6・7世紀 - 蝦夷との戦いのため東国に派遣され東国六腹朝臣としての勢力を構築。 700年頃以降 - 中央官人として活躍。 また、上毛野氏が対朝鮮で活躍する過程で渡来してきたのが第2グループであろう、と考察が加えられる。ただしモデルには不明な点も多く、実態の解明には更なる考証が必要とされる。
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