律令撰定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 08:23 UTC 版)
青年の頃から律令を学び、官吏の職務に明るかったという。文武天皇4年(700年)大宝律令撰定の功により禄を与えられた(この時位階は追大壱)。律令撰定に携わった19名のうち、首名は唯一律令を専修していたとされる。大宝元年(701年)4月に右大弁・下毛野古麻呂らと共に諸官人に対して新たな令(大宝令)の講説を、6月には大安寺で僧尼令の講説を行っている(この時の位階は正七位下)。 和銅4年(711年)従五位下に叙爵。和銅5年(712年)9月に平城京へ遷都後初の遣新羅大使に任ぜられ、10月に辞見し、翌和銅6年(713年)8月に帰還している。
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