律令国家成立と城柵官衙の建置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 23:59 UTC 版)
「日本の古代東北経営」の記事における「律令国家成立と城柵官衙の建置」の解説
ヤマト政権は大化改新を画期に律令国家建設に向けての諸政策を進め、地方行政として国郡里制の整備、編戸制の実施、戸籍・計帳といった公文書の作成、班田収授法の実施、租庸調・雑徭などの徴税が全国へとおよんでいく。 中央政府(朝廷)による東北経営が本格化すると、越後平野北半と仙台平野に相次いで城柵官衙が設置された。『日本書紀』によると、日本海側では大化3年(647年)に越国渟足柵(現在の新潟県新潟市)、大化4年(648年)には磐舟柵(現在の新潟県村上市)が設置されている。 『日本書紀』中には太平洋側の城柵設置を示す記事はないものの、郡山遺跡I期官衙(現在の仙台市太白区)が越国渟足柵に対応する陸奥国の城柵遺跡と考えられている。また7世紀代に造営された柵として越国都岐沙羅柵や陸奥国優嗜曇柵が知られている。
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