死去、国葬、パンテオン合祀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 02:10 UTC 版)
「シモーヌ・ヴェイユ (政治家)」の記事における「死去、国葬、パンテオン合祀」の解説
2013年、夫アントワーヌ・ヴェイユ(フランス語版)と姉のドゥニーズ・ヴェルネ(フランス語版)が死去し、シモーヌ・ヴェイユは政界を引退した。 2016年8月、呼吸不全で入院。 2017年6月30日にパリの自宅で死去、享年89歳。90歳を迎える2週間前だった。息子のピエール=フランソワによると、最後の言葉は「ありがとう (merci)」だった。 極右のフロリアン・フィリポ(フランス語版)からニコラ・デュポン=エニャン、クリスチャン・エストロジ、イヴ・ジェゴ(フランス語版)、左派のベルナール=アンリ・レヴィ、ロランス・ロシニョル(フランス語版)まで、そしてパリに拠点を置くウクライナの女性権利団体「FEMEN」のインナ・シェフチェンコ(フランス語版)代表も含め、多くの著名人がシモーヌ・ヴェイユをパンテオンに合祀すべきだと提案し、他の複数の女性権利団体による請願書もそれぞれ11万人から12万人の署名を集めた。 だが、孫のデボラー(30歳)とヴァランティーヌ(23歳)は、「(祖母に対するこうした想いに)非常に感謝」しながらも「祖父母は65年も共に生きたのだから、それぞれ別の場所に埋葬されたら、あまり幸せではないかもしれない」という意見だった。 2017年7月5日、オテル・デ・ザンヴァリッドで国葬が執り行われ、エマニュエル・マクロン大統領、元大統領のニコラ・サルコジ、フランソワ・オランド、(ジャック・シラクの代理として妻の)ベルナデット・シラク、エドゥアール・フィリップ首相、元首相のエディット・クレッソン、アラン・ジュペ、リオネル・ジョスパン、ジャン=ピエール・ラファラン、ドミニク・ド・ビルパン、フランソワ・フィヨン、マニュエル・ヴァルス、ベルナール・カズヌーヴ、元大臣のセゴレーヌ・ロワイヤル、ドミニク・ストロス=カーン、フランソワ・バロワン、ラシダ・ダティ、ミシェル・アリヨ=マリー、ジャン=ルイ・ボルロー、ナタリー・コシュースコ=モリゼ、ロズリーヌ・バシュロ、パリ市長アンヌ・イダルゴらのほか、国外からもベルギーのシャルル・ミシェル首相、ルクセンブルクのグザヴィエ・ベッテル首相、ブルガリアのボイコ・ボリソフ首相らが出席した。ヴァレリー・ジスカール・デスタンは出席しなかった。シモーヌ・ヴェイユの家族の希望により、一般市民も参加した。 マクロン大統領は追悼の辞の最後に、シモーヌ・ヴェイユを夫アントワーヌ・ヴェイユとともにパンテオンに合祀すると発表した。 シモーヌ・ヴェイユはモンパルナス墓地に2013年に亡くなった夫アントワーヌ・ヴェイユとともに埋葬された。パリのラビ長(ユダヤ教指導者)アイム・コルシア(フランス語版)師が葬儀を執り行った。シモーヌ・ヴェイユがカディッシュ(ユダヤ教の死者に捧げる追悼の祈り)を唱えることを希望していたからである。 祈りを捧げたのは息子のジャンとピエール=フランソワ、アイム・コルシア、そしてシモーヌ・ヴェイユの女性解放のための闘いを象徴するリベラルな女性のラビ、デルフィーヌ・オルヴィユールであった。 2018年6月29日および30日に、ヴェイユ夫妻の棺がモンパルナス墓地からショア記念館に移され、地下礼拝堂に安置された。7月1日、棺がショア記念館からパンテオンに移され、合祀式典が執り行われた。シモーヌ・ヴェイユはパンテオンに合祀された5人目の女性である。
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