死のハイウェイを巡る論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 08:33 UTC 版)
「死のハイウェイ」の記事における「死のハイウェイを巡る論争」の解説
死のハイウェイでの攻勢は不名誉な論争の的となった。複数のコメンテーターは、隊列に捕虜と民間人の避難民を含めた撤退中のイラク軍に対する攻撃は過剰な力の行使であると断言した。しかしながら、戦闘中の死のハイウェイに居合わせたリポーターはおらず、報道機関は1か月に渡って現れなかったために撮られた写真の多くは炎上し、破壊された車両を写したものである。 この爆撃は複数の国連監視団員によって、撤退中かつ非戦闘中のイラク兵が激しい渋滞に捕まっている中、ハイウェイで広範囲に渡って行われた計画的な爆撃であるとして引き合いに出された。 これに対してアメリカは、残骸の中で見つかったイラク兵はほとんど無かったと断言した。PBSフロントラインのインタビューの中で、リック・アトキンソンは、死のハイウェイで何人のイラク兵が殺されたか知ることはできるかという質問に対して次のように答えた。 「一体何人のイラク兵が死のハイウェイで殺されたのか今後我々が知ることができるとは思わない。死のハイウェイで破壊された車両はおよそ1500にのぼった。そして別の道路ではさらに海岸沿いに走った400前後の車両の一団が数えられた。イラクの降伏直後にこの残骸の中を歩いた人々は、比較的僅かな死体しか見なかったが、確かに複数の死体がありその死体は多くが激しく焼け焦げていた。しかし、支配的な見解としては、多くのイラク兵は車両を乗り捨てて逃げ去ったというもので、死のハイウェイで殺された数が200人を超える程度というのは多分に信じ難いことである。」 インデペンデント紙のロバート・フィスクは、多国籍軍の爆撃後に現場へ赴いた。フィスクは自書「The Great War for Civilisation」において、数キロの長さに渡って渋滞に掴まった車両が軍民問わず爆撃され、破壊された光景を記述している。フィスクは車両の乗員の焼死体について次のように述べている。 「私はそこで何百体もの死体を見た。あそこには数千の死体があったに違いない。我々はそれを“死のハイウェイ”としてでなく、“ムトラ・リッジの虐殺”として記憶すべきであろうか?」 この証言の通り、youtubeなどに投稿された"死のハイウェイ"に関する動画には、激しく炭化した複数の遺体、バス内で死亡したと思われる民間人らしきものなどを撮ったものがある。
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