歴史的な問題点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 03:58 UTC 版)
「茶色のスカプラリオ」の記事における「歴史的な問題点」の解説
カルメル会の最初の1世紀に近代学術の光を当てて見るならば、聖サイモン・ストック(英語版)に現れた聖母のスカプラリオのビジョンに歴史的な問題が持ち上がる。この聖母出現の話が出回り始めたのは14世紀後半のことである。その当時には、約150年前の1251年にこの聖母出現の出来事が起こったと、度々言われるようになった。この約150年という期間の長さを考慮すると次のような問題が起こる。まず、聖サイモン・ストックの初期の人生や、奇跡についての記述がないこと、カルメル会のスカプラリオを聖母マリアが与えたことについてなのだが、この期間において、カルメル会の修道服の会則で「聖母マリアがスカプラリオを与えた」ということに関する議論で、これも言及もされていないし、暗示されているようでもないこと、ジョン・バコスロプ(John Baconthorpe)のような著名なカルメル会の著作家が、スカプラリオについて言及していないことなどである。 1375年にこのような記録もある。イギリス人のカルメル士会修道士が、ドミニコ会の托鉢修道士と公開討論を行う約束をした。この中で、そのドミニコ会の修道士が自分たちの修道服は聖母から授かったものであると主張したのをこのカルメル会修道士がからかった。この「自分たちの修道服は聖母マリアから授かった」という主張は他の複数の修道会でも共通でなされているものだったのだが、そのカルメル会の修道士はこの主張が、前世紀に自分たちの修道会からでた主張であることを知っているそぶりも見せなかった。 証拠が錯綜する最中で、聖サイモン・ストック以前の他のカルメル会修道士たちが、神秘的なビジョンを見た。この話は後日それが聖サイモン・ストックに関連付けられた形になったという考えが出てきた。 次のような意見もある。「スカプラリオを歴史的観点からみると、聖母のご出現の歴史性又は真実性について、反駁できないほどの証拠書類が欠如していることを認めなくてはならない。同時に、ご出現を間違いとか、決定的な真実性がないということから、ご出現を非難する意見に、賛成する説得力がある理由も見当たらない。」 カルメル会本部では、そのウェブサイトに、聖母が御出現になってスカプラリオを手渡したというヴィジョンが歴史的に否定されたとしても、スカプラリオそのものは、聖母の全カルメル会会員に対しての母としての保護、イエスの後を追う個人の約束として、イエスの全ての弟子の完璧なモデルである聖母の足取りを追うものであることは残り続ける。と書いている。
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