武芸諸譜翻訳続集
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1610年に光海君の命により、崔起南が『武芸諸譜続集』を基にハングル訳したものが『武芸諸譜翻訳続集』である。 以前の十八巻本には欠けていた、日本剣術、対倭寇戦術、日本国情などを加筆した『紀効新書十四巻本』(1588年)を引用して「日本考」四巻が付け加えられ、日本の地理、風俗、戦術、剣術などを解説した。17世紀ハングル文法の例としても史料的価値は高い。 ここまでの朝鮮の兵書編纂は、対日戦での苦渋の記憶から、日本相手の軍隊強化が目的であり、兵卒向けに絵図を多用したハングル訳書籍でもそれがうかがえる。また、精神修養を兼ねるものではなく、あくまでも兵卒の軍事技術である。 ところが、1627年の丁卯胡乱と1636年の丙子の乱では、満州騎兵と火砲を主力にする清軍を相手に、大幅な戦術転換を迫られることとなった。更に清朝の中国支配による戦争の終結で、以後一世紀に渡り忘れさられる。 また、これらとは別に、降倭からは積極的に鳥銃戦術の習得に努め、朝鮮鳥銃隊は高い練度を見せた。孝宗は清より、黒竜江からの南下を狙った新勢力ロシアとの戦いに兵力派遣を命ぜられ(1654年と1658年の羅禅征伐、ko:나선정벌)鳥銃隊を送っている。派遣部隊は、数で上回る露軍を撃退する功績を挙げた。
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