次期通勤電車までのつなぎ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 04:24 UTC 版)
「国鉄101系電車」の記事における「次期通勤電車までのつなぎ」の解説
101系が通勤輸送を改善する最善手にならないことは明らかではあったが、次期通勤電車の設計には回生ブレーキなどの試験結果なども待つ必要があり、当面は101系による増備を続ける必要があった。1960年からは大阪環状線に、1961年からは山手線にそれぞれ投入され、大阪環状線は4M2T編成、山手線は20 m車7両が最大編成であったことから4M3Tで投入される。なお、山手線には後の総武・中央緩行への転用を前提とし、その所要数を超えない範囲で投入された。 しかし、シミュレートの結果、熱容量的に山手線のように駅間距離が短いとRMS電流が大きくなることと、ピーク電流が3,000 Aに制限されていたことから、限流値を300 Aに下げ、電気ブレーキも使わない運転方法をとらざるを得ず、その結果、当時走っていた旧形国電編成よりも山手線一周の運転時間が伸びるという逆転現象も発生した。後にホーム延伸と変電所増強により、6M1T編成を経て6M2T編成となり、加速度の問題は部分的に解消されたが、電動車の比率の高さのために不経済さは一層際立った。 1963年、新形車両として103系が登場した。電動機には、高速性能よりも加速性能と電力の経済性を重視して、低回転型でより出力の大きいMT55形モーターを採用、MT比1:1と経済的な編成が組めかつ低い限流値でも101系6M4T編成並みの起動加速度を確保した。山手線には1963年からこれをウグイス色の塗色で投入して、101系は1964年から中央・総武緩行線に黄色の塗色のまま転出した。その後、101系は全電動車方式が放棄されたため、1963年度の増備車以降は付随車・制御車の電装準備工事は廃止され、サハ100形は製造中止となった。さらに1965年度の増備車からは台車も完全な付随台車(TR64形)となっている。
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