横穴墓の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/30 08:54 UTC 版)
発掘担当者によって、15の横穴墓は西から東へ、山に近いほうから川に近いほうへ、1号墳から15号墳と番号を振られた。1953年(昭和28年)に見つかった穴が15号墳である。どの墓も崖面に対して直角にまっすぐ入り、崖がのびる方向に従い、西の端では南を、東の端では東南を向く。7、8、9号墳を除けばほぼ同じ高さにそろう。 横穴の奥に玄室があり、断面形状は方形・長方形・台形で、床の1辺は1.4メートルから2.75メートルにおさまる。玄室の上はアーチ状であったり家の屋根の形であったりする。入り口(玄門)は、そこに至るトンネル(羨道)より幅を狭く作る。13号墳だけは、幅0.8メートルで、玄室・玄門・羨道の区別がないタイプである。11号墳と12号墳は玄室が接触して数十センチの穴が通じていた。1号墳、2号墳、3号墳も玄室が横でつながっていたが、これはピッケルのような工具で穴を開けたらしく、後世の改変と考えられる。 7つの横穴では、約10センチメートルほど高くした台床が作られた。そのうち15号墳だけは高さが約50センチメートルで、顕著な壇をなした。台床がない穴は8である。岩には水が滲み出る自然の割れ目が走っていたため、横穴の中にはこれにあわせて排水用の溝を設けたものがある。台床の上で、5号墳から1体分、9号墳から3体分にあたると推測される人骨が見つかった。泥質化が著しく、見つかったのは頭蓋骨など大きな骨が少数で、状態はよくなかった。5号墳のものは熟年男性、9号墳のものは熟年男性2人と壮年女性1人と推定された。 遺物としては、7つの横穴から須恵器13点、土師器8点、鉄製刀子1点が見つかった。須恵器・土師器の発見場所は、玄室内、玄門閉塞部の外、穴の外の前庭部の3箇所である。それぞれ、遺体とともに副葬したもの、葬儀の後に供献したもの、追葬のために準備して置いたものに対応すると考えられる。刀子は約15.6センチで、木の柄がついており、5号墳の台床の上、つまり人骨と同じ場所にあった。
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