横穴墓の立地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 23:26 UTC 版)
関東地方には多くの横穴墓群が見られ、東京都や埼玉県など旧武蔵国の地域でも吉見百穴を始め多くの横穴墓群がある。武蔵国南部では多摩川と鶴見川流域に多くの横穴墓群があり、多摩川中流域では野川沿いに多くの横穴墓が見られる。 野川に沿って上流部の国立市から下流の世田谷区まで横穴墓群は分布しているが、特に三鷹市から調布市にかけてと世田谷区内に多く分布している。三鷹市から調布市にかけての野川中流域には60基あまりの横穴墓があり、未発見のものや開発などで既に破壊されてしまったものを併せると、100基以上の横穴墓があったものと推定されている。 野川沿いの横穴墓群は河岸段丘である国分寺崖線の関東ローム層に造られている。またその多くが東京パミス層を目印とした位置に造られ、ほぼ横一線の配列になっているのも特徴である。これは東京パミス層が年間の最高地下水位付近にあることから、横穴墓内部の排水を考えて地下水の影響を受けにくい場所に造ったためとの説がある。出山横穴墓群も三鷹市内の野川北岸の武蔵野崖線にあり、標高約50~52メートルの東京パミス層に沿って位置している。 また野川北岸沿いの国分寺崖線には豊富な湧水があり、出山横穴墓群を含む周囲一帯には旧石器時代から縄文時代にかけての遺跡があり、出山遺跡と呼ばれている。実際、出山横穴墓群8号墓の隣からは縄文時代の住居跡が発掘されており、出山横穴墓群8号墓の発掘時にも縄文時代の石器と縄文土器が出土している。
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