構想・目的
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1952年(昭和27年)に長崎県知事西岡竹次郎(当時)が、長崎県の平地を広げることと、当時の食糧難を解決するために「長崎大干拓構想」として発案した。これが諫早湾干拓事業が発案されたきっかけである。 干拓によって広大な干拓地が得られるとともに、農地の冠水被害(塩害)が防がれ、農業用水も確保されるとされた。諫早を流れる本明川は数年に1度の頻度で氾濫し、住民は水害に悩まされてきた。1957年には500人以上が犠牲になる諫早大水害が起こっている。諫早市内には水害を防ぐために多数の水門が備えられており、見張り役が立って水門の開け閉めをしていたが、危険を伴う作業であった。 干潟では排水を促すために、大勢の住民が集まって人力で「ミオ筋」と呼ばれる溝堀り作業が行われていた。当初の計画では諫早湾11000haを締め切って巨大な干拓地を造るものであったが、予算の関係で規模を1/3に縮小して農水省が1989年に着工した。目的は2つに分けられ、高潮、洪水、常時排水等に対する地域の防災機能強化、かんがい用水が確保された大規模で平坦な優良農地造成し、生産性の高い農業を実現することである。潮受堤防は全長7km。 計画面積3500ha造成面積: 約942ha(農用地等面積:約816ha、うち農地670ha) 調整池面積:約2,600ha 営農計画 - 露地野菜、施設野菜、施設花卉、酪農、肉用牛 事業費 - 2,533億円
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