椙森神社とは? わかりやすく解説

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椙森神社

読み方:スギノモリジンジャ(suginomorijinja)

教団 神社本庁

所在 東京都中央区

祭神 倉稲魂神 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

椙森神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/21 20:50 UTC 版)

椙森神社

拝殿
所在地 東京都中央区日本橋堀留町一丁目10-2
位置 北緯35度41分18.2秒 東経139度46分46.5秒 / 北緯35.688389度 東経139.779583度 / 35.688389; 139.779583座標: 北緯35度41分18.2秒 東経139度46分46.5秒 / 北緯35.688389度 東経139.779583度 / 35.688389; 139.779583
主祭神 五社稲荷大神
恵比寿大神
別名 椙森稲荷
札所等 日本橋七福神(恵比寿)
例祭 5月15・16日
主な神事 恵比寿祭(10月19・20日)
地図
椙森神社
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鳥居

椙森神社(すぎのもりじんじゃ)は、東京都中央区日本橋堀留町にある神社。現在は日本橋七福神の一つとして信仰されている。

祭神

歴史

藤原秀郷平将門の乱鎮定のため戦勝祈願し、戦後白銀の狐像を奉納したとされる。文正元年(1466年)には太田道灌が雨乞いに霊験があったとして山城国稲荷山五社大神を勧請して祀った。

江戸時代には江戸三森(椙森、柳森烏森)の一つに数えられ、庶民だけでなく松平信綱松平頼隆といった諸大名からも崇敬を集めるようになった。寛文年間には吉川惟足が大巳貴大神の託宣を受けて恵比寿大神を祀った。

社殿は関東大震災で焼失し、昭和6年(1931年)に鉄筋入り耐震構造で再建された。

境内

  • 富塚の碑
当社で江戸時代に行われてい富くじをしのんで大正8年(1919年)に建てられた。現在のものは昭和28年(1953年)の再建。
  • 大神輿
昭和6年9月、当社の一千年祭を記念して作製。総体350貫(約1.4t)。渡御は3年に1度。2011年は東日本大震災の影響で中止されたが、翌年に4年ぶりとなる渡御が行われた[1]

文化財

富塚の碑
  • 椙森神社の富札・富塚の碑(中央区民文化財第42号)
  • 椙森神社 附 造営関係資料(中央区民文化財第45号)
  • 椙森神社文書(中央区民文化財第47号)

氏子地域

中央区日本橋堀留町
中央区日本橋人形町一丁目1から8・17から19、三丁目1から7
中央区日本橋本町二丁目7・8(関東大震災復興までの堀留町一丁目の区域のみ)

交通

関連項目

脚注

外部リンク



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